今日は皆既日食ということで、我々SOS団は団長である涼宮さんの命令により昨年天体観測を行ったベランダに集合していた。日食グラスを準備したのはもちろん僕だ。幼い頃に使用していたものが幾つかあったけれど、ボロボロになっていたので新しく買い揃えた。折角の一大イベントなのだ。
「どうしてここは部分日食しか見られないのかしら」
 そろそろ日食が始まるかというときに涼宮さんが呟いた。日食グラス越しに空を仰いで、不満そうにくちびるを尖らせている。
「絶好の観測地は定員オーバーだって言うし。次に皆既日食があるときは早くから準備しないとね。合宿よ、合宿」
「いつからSOS団は天文学部になったんだ」
 涼宮さんと同じように空を仰いでいた彼が、腰に当てていた手で日食グラスを外した。涼宮さんは「馬鹿ね」と一蹴し、日食グラスを掛けたまま彼を見据えた。紙製の陳腐なフレームは真っ青に塗られ、隅っこには太陽を目指している小さなロケットが描かれている。用途を精一杯アピールしているつもりなのだろうが、随分と安っぽいデザインだ。
「SOS団には宇宙人を探すっていう大いなる目的があるのよ。ただ観察しているだけじゃないんだから」
「そうかい」
 適当な返事だった。まったく彼らしい。
 二人の近くで熱心に太陽を観察していた朝比奈さんが、不意に「あっ!」と声を上げた。ぴょんぴょん飛び跳ねて涼宮さんに日食開始を知らせている。
「涼宮さーん始まりましたよぉ」
「でかしたわ、みくるちゃん! 有希も見なさい」
 彼女たちはフェンスに沿って立ち並び、歓声を上げている。涼宮さんは両手に花状態だ。涼宮さんが喜んでくれて何よりだ。
 そう安心したのも束の間。
「ここでも皆既日食が見られたらいいのに。折角のビックイベントなのよ。部分日食なんて中途半端はつまらないわ」
 何を言い出すのだ彼女は。動揺したのは僕だけではなかったようで、涼宮さんの能力を知っている彼は見事なまでに顔を歪ませていた。おまえが言ったらシャレにならん、というツッコミが聞こえてきそうだ。
 涼宮さんは尚も言った。いや、願った。
「ああ、そうよ……そのまま太陽を隠しちゃいなさい!」
 太陽を覆っている月に向かってなのか、涼宮さんは無邪気に声援を送っている。さあ、どうしたものか。頼りの長門さんは対象の観測を淡々と行い、朝比奈さんはアナログな観測方法にはしゃいでいてどうしようもない状態だ。肩を竦めるしかない。彼もやれやれと呟いたきり、なんのフォローもせず彼女のそばを離れた。
 僕の隣までやってきた彼は日食グラスを覗き、首を振ってしゃがみ込んだ。僕もそれに倣う。
「まさかとは思うが、ここでダイアモンドリングなんてもんが見れたら大騒ぎだろうな」
「世界中の天文学者が慌てるでしょうね。学説が一からひっくり返るかもしれませんよ」
「笑い事じゃないだろう」
 ここで見られる日食は90パーセント前後。本来なら折り返してもいい頃なのだが。
「マジかよ……」
「明日の一面はコレで決定ですね」
 彼の呟きに僕は笑顔で答えた。
 涼宮さんは太陽に向かって手を伸ばし、すっかり興奮している。月が太陽を隠しているのか、涼宮さんが太陽を隠しているのか、僕には最早わからない。
「キョン! 古泉くんも見なさいっ」
「言われなくても見てる」
「月はサービス精神旺盛なのね。パーフェクトな日食よ」
 僕は日食グラスを外し、暗闇のなか膝を抱えた。朝でも夜でもない漆黒の闇。太陽は覆い尽くされ、世界は色を失っていた。ここは、閉鎖空間に少しだけ似ている。息が詰まりそうだ。
 ふと、彼の膝小僧が僕のそれに触れた。閉ざされたドアをノックするようにコツン、とぶつかる。
「……なんです?」
「おまえ顔色悪いんじゃないか」
 見えもしないのにどうしてわかるのだろう。得体の知れない感情が込み上げてくる。嬉しいのに泣きそうだ。
 日食グラスを外した彼の瞳は暗闇でもキラキラと光っていた。星のように瞬いている。そうだ。ここは、灰色の世界じゃない。皆がいる。彼がいる。手を伸ばし、やわらかな頬に触れた。確かに彼はここにいる。だから、僕は大丈夫。
 太陽が月に隠されている間、僕たちは神様に隠れてキスをした。涼宮さんの声が遠い。宇宙も未来も遠いところにある。すべては闇に閉ざされている。