スニーカーを脱ぎ捨てた佳主馬は裸足をぴたりとつけて廊下を歩く。空気がキラキラ光って眩しい。妹が生まれてから三度目の夏休みだった。
 親戚への挨拶もそこそこに納戸へ移動した佳主馬は、暗がりに先客がいることを認めて立ち竦んだ。
「侘助おじさん」
「よお、佳主馬。大きくなったな」
 かつての自分と同じようにディスプレイの明かりだけに照らされた横顔は、記憶よりも痩せこけていたけれど目は生き生きと輝いている。
 ラブマシーンが引き起こした騒動の責任を巡って、各所に引っ張り出されていた侘助は「この際、面倒を一気に片付けてくる」と宣言したきり姿をくらましていた。栄に代わって本家を取り仕切っている万理子は小言を漏らすかと思いきや、「そのうち帰ってくるわよ」と大きく構え、あれだけ「勝手な奴」と侘助を罵っていた理香でさえも「もう大人なんだから放っておきなさいよ」と見守る姿勢を決め込んでいた。今の彼なら大丈夫だと思っているからだ。
 侘助が帰ってきていることは夏希から聞いて知っていた。誰よりも侘助の帰りを待ち侘びていたのは彼女だろう。以前に比べて「侘助おじさん」とくちにする回数は減ったが、夏希にとって侘助は、いつまで経っても「大好きな侘助おじさん」のままなのだ。
「こっち座れば」
 侘助に手招きされ佳主馬は納戸に踏み入った。相変わらず埃っぽい場所だけれど、佳主馬にとってはだだっ広い本家のどこよりも安心できる。
「おじさんって栄おばあちゃんの部屋使ってるんじゃなかったの」
「使ってるよ。夏希から聞いたのか」
「うん。ねえ、おじさんがいると仕事できなくて困るんだけど」
「おまえはノートだろ。広間でやれ、広間で」
「嫌だよ。チビたちがうるさいもん」
「おまえだってチビだろうが」
「おじさんは大人げない」
 侘助は笑ってをキーボードを叩いた。どうやら納戸を譲るつもりはないらしい。
 佳主馬は仕方なくラップトップを膝の上に置いた。真っ先にすることはオズへのログイン。迷惑メールを処理して、スポンサーに返信する。ファンメールに目を通すのは最後だ。中にはファンを装って誹謗中傷してくる輩もいるがどうってことない。ワンクリックで削除すれば済むことだ。
 メールチェックを済ませた佳主馬はマーシャルアーツ・エリアに移動しようとカズマを動かした。その矢先、
「侘助!」
 突然、万理子が顔を覗かせた。あまりの迫力に佳主馬は一瞬怯み、何事かと身構える。名前を呼ばれた侘助なんぞ顔を引きつらせていた。しかし万理子の表情は張りあげた声のわりにやわらかく、ぎゅうぎゅうと納戸に詰まっている侘助と佳主馬を見比べて「あら」と口元をゆるませた。
「佳主馬もいたのね。丁度良かった。あんた達、一緒にお風呂入っちゃいなさい」
「ちょっと万理子おばさん、風呂くらい一人で入らせてくれよ」
「何言ってるの。そんなことしてたら真夜中になっちゃうわよ。それともなあに? 真悟たちと入りたいのかしら」
「……佳主馬と入らせて頂きます」
 万理子の言う通り一人ずつ入っていたのではいくら時間があっても足りない。親戚が集まっている間、陣内家では客人扱いでもない限り、近くにいる人間と一纏めに風呂場へ放り込まれるしきたりだ。
「はやく入ってちょうだいね。あんた達が上がったらごはんにしましょう」
 にっこり笑って、万理子は姿は消した。

 湯船に浸かった佳主馬はぼんやりと曇った窓を見上げた。まだ空は明るい。外では真悟たちが走り回っているのだろう。楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「ガキのくせに一番風呂とは生意気だな」
「おじさんが遅いんだよ」
 二人とも着替えを取ってから風呂場に向かったのだが、侘助が着いた頃には佳主馬はすっかり髪を洗い、体を磨き終えて湯船を占領していた。
 うんと足を伸ばしてくつろぐ佳主馬を恨めしげに見下ろし、侘助は「あし!」と怒鳴って湯船を跨ぐ。佳主馬はあからさまに不服そうな顔をして足を胸元に引き寄せた。白濁した湯から褐色の膝小僧が覗く。
「佳主馬、前から訊きたいことがあるんだけど」
「なに」
「どうしてウサギなんだ」
「キングのこと言ってるの?」
 額に張りついた髪を退かす。指先にしずくがくっ付いて流れ落ちた。
「ウサギ型はレスポンスが速いから格闘向きなんだよ」
「それだけ?」
「……なにが言いたいの」
 侘助は意地の悪い笑みを浮かべ、肩を竦めた。
「寂しがり屋さんだからー……とか、そんな答えを期待していたんだけどな」
「馬鹿じゃないの。ウサギが寂しいと死んじゃうっていうのは嘘なんだよ」
「知ってるさ。だけどアバター作った頃は知らなかったんじゃないのか」
「そうだけど……じゃあ侘助おじさんは、僕が寂しがり屋だからアバターをウサギにしたとでも言いたいわけ」
「そうじゃなかったら絶倫とか」
「ぜっ…………」
 普段なら下ネタなんぞで動揺することはない佳主馬だが、予想外のカウンターパンチに不意を衝かれたようだ。その様子に侘助はケラケラと声をあげて笑う。
「エロオヤジ」
 そう言うなり佳主馬は水鉄砲で侘助を攻撃した。やったな、と侘助も水鉄砲を構える。
「侘助おじさん、僕も訊きたいことがあるんだけど」
 返事をする代わりに侘助は水鉄砲を撃った。きれいな曲線を描いて、それは湯に溶けていく。
「どうしてラブマシーンなの」
「……はあ?」
「名前」
 汗とも水ともつかないしずくが額から流れ、目に入った。汗は、沁みる。侘助は痛みに目を瞬かせた。
「知識欲を与えたのは、おじさんがラブを知りたかったから?」
「知りたがりは俺じゃなくてアイツだろうが」
「作ったのは侘助おじさんじゃない」
「俺にはラブなんて必要ないんだよ」
「マザコンだもんね」
「それはおまえだ。ラブのひとつも知らないガキが偉そうに」
「知ってるよ。ラブくらい」
 佳主馬は小さな水鉄砲を解体して両手でラブのマークを描く。「可愛くねーな」と笑って、侘助は佳主馬のハートを撃ち抜いた。