「……ねえ、佐久間さん」
 数センチ先のくちびるが動いた。
「やっぱり止めない?」
「もう遅い。無理」
 やわらかい毛布のなかで爪先が触れあう。佳主馬はくすぐったそうに身を捩って囁いた。
「だって狭いよ」
「おれだって狭い。ぶっちゃけ落ちそうだ」
「最悪。ぼく受験生なんだけど」
「そう思ったから壁際にしてやったんだろ」
「だから狭いって。こっち寄らないでよ」
 佳主馬はくちびるを尖らせた。
「いっつも思うんだけど布団は? ないの?」
「あるけど敷くとこないし出すの面倒じゃん」
 恨めしげに佐久間を見つめ、佳主馬はため息を吐いた。泊まらせてもらっている身分なので文句は言えない。言えないが、気になることはある。
「健二さんが泊まるときってどうしてるの?」
 佐久間と、ひとつ屋根のした。ひとつベッドのうえ。佳主馬は目を瞬かせ首を傾げた。
「やっぱり一緒に寝るの?」
「いやいやいや、それはないですから。っつーか泊まりのときは大体あいつんちだし」
「ふーん……」
 健二の家に泊まったときは確かに客用の布団で眠った。一昨年の冬休みのことだが、そのときも佳主馬は佐久間と一緒に眠った。単純に高校生ふたりがひとつのベッドに納まるよりは窮屈じゃなくていい、という流れだったけれど。
「でも実際、泊まることって滅多にないかも。だらだらしゃべって解散って感じ」
「そうなんだ」
「あいつ基本ひとりが好きだし」
「意外。入り浸ってると思ってた」
「おれたち束縛しない関係ですから」
 おどけて、佐久間は寝返りを打った。佳主馬も同じように天井を仰ぐ。オレンジの明かりが二人の輪郭をぼんやり描いた。
「佐久間さんに訊いていいかわからないんだけど」
「なに?」
「どうして佐久間さんは佐久間なの?」
「…………えっ、ロミジュリ?」
「そうじゃなくて呼び方、どうして健二さんは健二で、佐久間さんは敬じゃないのかって話。健二さん、ぼくのことも夏希姉のことも名前で呼ぶのに、親友の佐久間さんを名前で呼ばないのは不思議だなって」
「ああ……」
 言っている意味を理解すると同時に、おれの名前ちゃんと覚えてたんだと佐久間は思った。なんだかくすぐったい。そして、親友が未だに自分の名前を呼ばない理由を思いだして笑みをこぼした。佳主馬が怪訝そうな顔をする。
「笑っちゃうような理由なの?」
「いや、まあ……あいつも名前で呼ぼうとしたんだ。したんだけど盛大に間違えやがってさ、ケイって」
「…………なるほど」
「で、その場にいた連中は爆笑な。悪気は全然ないんだよ。わかるだろ? おれも気にしなかったし、気にする方がどうかと思うんだけど健二のことだから無理じゃん。それが、おれが敬じゃなくて佐久間の理由」
 ふと佐久間は佳主馬のほうに顔を向けた。見つめる眼差しがふにゃっとしている。眠いのだろう。佐久間は苦笑して、ずり下がった毛布を掛け直してやった。
「もう寝るぞ。明日はスポンサーと打ち合わせなんだろ? 寝坊するなよ」
「わかってる」
「おやすみ」
「おやすみなさい、敬さん」
 佳主馬の言葉に佐久間は耳を疑った。
「…………はい?」
「やっぱり、へんな感じ……佐久間さんは佐久間さんだなあ…………」
「………………」
 佐久間は言葉に詰まってまじまじと佳主馬を見つめた。けれど佳主馬は佐久間の想いも知らず、すやすやと寝息を立てている。
「何なんだよ、ったく……」
 佐久間は頭を掻き乱し、枕に突っ伏した。
「…………おまえだって健二は健二さんのくせに」
 佐久間は息をするのも躊躇われるほどの静けさの中、正しく呼ばれた名前の尊さについて考えた。そして、報われることのない恋心を呪った。