明日からの三連休を名古屋観光に費やそうと思って前日に乗り込んだはいいけれど、僕はそのことを早くも後悔していた。金曜日の街はサラリーマンや若者でごった返している。中でも目につくのは学生服の群衆。僕は彼らから目を逸らし、人知れずため息を吐いた。
 紺色のブレザーをまとった彼らから何度「池沢」と呼び止められただろう。僕は次第に紺色のブレザーを警戒し、避けるようになった。池沢とは、もちろん隣にいる佳主馬くんのことだ。紺色のブレザーに臙脂のネクタイ。彼の制服姿といえば、あの夏のシャツの白さが印象的で、はじめて見る高校の制服姿はひどく余所余所しく見えた。まるで別人のようだ。
「あ、池沢」
 不意にこちらへ向かっていた少年が声をあげた。隣を歩いていた佳主馬くんも声をあげて立ち止る。会話の流れから察するに二人は小学校が同じだったようで、ひさしぶりの再会を喜んでいた。僕は心の奥底で舌打ちする。紺色のブレザーじゃないから油断していた。
 ここは彼の知り合いであふれている。僕にとっては完全なるアウェーだ。
 佳主馬くんが僕のことを「友達」として紹介するのを笑顔で聞いて、居心地悪く立ち尽くす。そうだ、僕は彼の親友ですらない。ただの友達。一年に一度だけ長野で会って、時々ネットを通じて会話する程度の関係。僕は佳主馬くんの特別じゃない。今こうして佳主馬くんと話している少年にだって敵わない。二人の会話には僕の知らない名前ばかり出てくる。僕の知らない思い出ばかり聞こえてくる。耳を塞いでしまいたい。
 ふと佳主馬くんの黒い瞳が申し訳なさそうに僕を見た。ごめん、と謝る声まで聞こえてきそうだ。彼は会話を打ち切ろうとしているけれど、少年が言葉を遮ってしまう。それくらい僕だってわかっている。たぶん普段の僕なら気にしないでいいよと答えていた。へらへら笑って、彼の優しさが僕だけじゃなく、みんなに等しく与えられていることを「いいこと」だって言い聞かせようとしたと思う。でも、駄目だ。
「かっ、佳主馬くん!」
 予想以上の大声に自分で驚いてしまった。彼も、少年も、ぴたっと会話を止めて僕を見た。
「あの……」
「どうしたの?」
「時間、大丈夫かなって……妹さんも待ってるし、お夕飯の支度しなくちゃいけないし、だから、その…………」
 言葉は勢いを失っていく。自分でも何を言っているのかわからない。けれど佳主馬くんは「そうだ」と大袈裟に頷き、僕の三文芝居に付き合ってくれた。
「すっかり忘れてた。ごめん、もう行くよ」
「なんだ、引き止めて悪かったな。また連絡する」
「うん。じゃあね」
 少年を見送ったあとも佳主馬くんが笑い続けるので、僕は堪らず彼を睨みつけた。
「笑いすぎだよ佳主馬くん」
「だって……いや、でも本当に助かったよ。あいつ話しだすと長いから。ありがとう、おにいさん」
「それなら、いいけど……」
 きっと佳主馬くんは純粋に、僕が助け舟を出したのだと思っている。僕の本心を知ったら彼はどんな顔をするだろう。見てみたい。でも、そんな度胸はないから、僕は少しずつ段階を踏んでいかなきゃいけない。たとえば、このアウェーの空気に慣れるとか、名前で呼んでもらえるようになるとか、二人だけで共有できる思い出をもっと作るとか、できることはいくつもある。とりあえず今の僕ができることは、また彼を知っているひとが現れたら、迷わず彼の手を引いて逃げること。それが僕の、ありったけの勇気。